先 生 と 生 徒 の お 話 し
― 学ぶべき本当の教え ―
昔々、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はあるバラモンの家に生まれました。
成年に達して、あらゆる教えに精通し、世界的に有名な先生となって五百人の生徒に教えるくらいになりました。
これら五百人の生徒たちは先生の教えにより学業を成し遂げ学問に専心しておりましたが、ある時
「先生が知っておられるだけ、我々も知っている。何の区別もない」と考えるようになり、
驕慢になり先生のもとに行くこともなくなり、種々の義務を果さなくなりました。
ある日、先生がナツメの木の根もとに坐って瞑想をしていたとき、生徒たちは先生を愚弄しようと思い、木を爪でコツコツと叩いて
「この木には価値がない」と言いました。
先生は自分が愚弄されていることを知って
「生徒たちよ、おまえたちに一つの質問をしてみよう」と言いました。
彼らは得意そうな顔で「どうぞなんでも言ってください、すべてお答えいたしましょう」と言いました。
そこで先生は言いました
「あらゆる生類をも、自分自身をも、時は食べつくす。時を食べつくした者は生類を焼くものを焼き尽した」
その質問を聞いた生徒たちの中には一人もこれを理解できる者はありませんでした。
そこで先生は彼らに言いました。
「あなたたちは、私が知っていることを全部知っていると考えて私をナツメの木と同じものと見なしました。
私がおまえたちの知らないことを、たくさん知っていることに気付いていません。
七日間の時間をあげましょう。この期間中にこの問題を考えなさい。」
彼らは各自の住居に帰り、七日間考えに考えぬきましたが、答えを見いだせませんでした。
その後、生徒たちは七日目に先生のもとにやって来て礼拝して坐り「分りませんでした」と答えました。
先生は彼らを叱責し、こう言いました。
「沢山の髪の毛で飾られている人間の頭だけは数多くあり、うつむいて首につながっている。
耳を持っている者は誰もいないのか。おまえたち愚か者には耳の穴だけがあって智慧がない」と。
生徒たちはそれを聞いて「ああ、やはり先生は偉大だった」と言って深く謝罪し、それからは慢心をなくして、先生の教えに従うようになりました。
師と同格になったり乗り越えたりすることは努力すれば出来るものです。
しかし、耳で聞いてそれを丸暗記したところで師と同格になったり乗り越えたというのは早計で驕慢すぎます。
何度も何度も反芻して実践し、そしてやっと身につくものです。
この生徒たちは菩薩である先生の教えをただ丸暗記したに違いないのです。
そして驕慢になったのですが、先生はその知識以上の知識と経験を持っていたのです。
人生最初の師は親であり、また最後まで師であり続けます。
私達は親の言葉を直接聞き育ち、そして親と同等になったと勘違いしてしまいがちです。
親の背中を見、そして生き方を見続けることで、初めて親の気持ちや伝えたいことが解ってくるものです。
たまに「親がこういっていたから・・・」という人がいますが、それは本当に伝えたかったことでしょうか。
今一度心で考える必要があるかもしれませんね。
平成三十年十一月 写経の会(第六十三回目) 法 話