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第27回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第27回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした法話についてお書きします。

木 魚 の お 話 し

― 輪廻のお話し ―

むかしむかし、あるお寺に、和尚さんとその弟子である小坊主さんたちがいました。
その中に、元気がいいというと聞こえはいいのですが、いたずらばかりして和尚さんを困らせていた、一人の小坊主さんがいました。

その日も、掃除をなまけて境内の高い木に登り、木をゆさぶって得意がっていました。
ところが、ゆさぶっていた枝がぽっきり折れて小坊主さんは、真っ逆さまに落ちて、かわいそうなことに死んでしまったのです。
自業自得とはいいながら、和尚さんは、このかわいそうな小坊主さんのために、皆といっしょに涙を流しながらお経を読んで、弔ってあげました。

それから間もなくのことでした。いたずら小坊主さんは、大海原を、あっちへこっちへとすいすい泳いでおりました。
実は、小坊主さん、魚に生まれ変わっていたのです。

成仏できなかった者は、生前中の業に応じ、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの世界を、巡り巡っていなくてはならないといわれています。
あのいたずら小坊主さんは、生前中の悪業が災いして、生まれ変わった往き先は、畜生道だったのです。

しかし、当の小坊主さんは、もともと元気だけが取り柄のような子どもでしたから、大海原を自由に泳ぎ回れることがうれしくて、
魚に生まれ変わったことを、喜んでいるほどでした。しかも、体もどんどん大きくなってきて、小さな島ほどの大きさまで成長し、見るからに強そうな大魚になりました。

こうなると、やはり本性が出てきます。海の無頼漢を決め込み、小さな魚たちを追いかけ回したり、脅かしたりしては、得意がっていました。
恐がって逃げ回る魚たちを追いかけるのが面白くてしようがなかったのです。

そんな意気揚々とした日々がどれほど続いたころでしょう。いたずら小坊主魚の背中に、大きな吹き出物が一つ出来ました。
最初のうちは、少々むず痒いくらいで、あまり気にもしておりませんでしたが、次第にどんどん盛り上がり、ついにウロコを割って、なんと木の芽が顔を出し、枝葉が生えてきたのです。
これにはさすがのいたずら小坊主魚も驚きました。しかも、その木は見る見る生長して、しっかりと根を張り、幹の太いりっぱな大木となったのです。
これほどに背中の木が大きくなると、ちょっとした風でも、茂った葉っぱがゆさゆさと揺れ、泳ぐことも出来ません。
帆立船のように風まかせで流されるほか仕方がありません。まして大風でも吹こうものなら、背中がみしみしときしみ、背骨をむしり取られるような激痛が走ります。
おまけに、背中に木を生やした間抜けな恰好を、仲間の魚にはもちろん、これまで威張り、蹴散らしてきた魚たちにまで馬鹿にされ、すっかり意気消沈し、毎日泣きながら過ごしていました。

そんなある日のこと。海の向こうに一艘の船が見えました。小坊主魚は、背中の痛さに耐えかね、
いっそのこと、あの船に思いっきりぶつかって死のうと考えました。そして勢いをつけ、まっしぐらに船に向かっていきました。

一方、船に乗っている人たちは、海の向こう側から大きな木が一本生えた小さな島がすごい勢いでこちらに向かって来るものですから大騒ぎです。
ところが、因縁とは不可思議なもので、その船にはいたずら小坊主魚の、かつての師僧が乗っていたのです。
和尚さんは徳の高い方だったので、すぐさま事情をさとり、小坊主魚に声をかけ、やさしく呼び寄せ、船員の力をかりてその背中の大木を切って楽にしてやりました。
そして、小坊主の罪の深さを説き、次のように諭しました。

「今切り落とした木でもってお前の姿を型どり、朝な夕なたたいてお経をあげてやろう。そうすれば、お前の罪はいずれ消え失せるであろう」と。

小坊主魚は、それを聞いて、涙を流しながら海原に帰っていきました。そして、その後は小さな魚たちにも優しくし、精進し、無事成仏できたということです。

平成二十七年十一月 写経の会(第二十七回目) 法 話

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