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第25回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第25回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

カ ラ ス の 話

― 内側の大切さ ―

その昔、菩薩はヒマラヤ地方で水鳥の子として生まれ、森の中にある湖のほとりに住んでいました。
深い深い漆黒の羽をもち、その名をヴィーラカと言いました。

その当時、近隣の国は長く続く飢饉にみまわれていました。
人々は食べ残しをカラスや動物たちの餌として与えることも、神霊などに食物のお供え物をすることも出来ませんでした。
食べる物のないカラスたちは、飢饉の国から逃れて森の中へと入り込みました。

その国のバーラーナシーという街に住む、サヴィッタカという一羽のカラスも妻のカラスとともに街から逃げ、
森の中に住むヴィーラカの住んでいる湖に偶然やってきて、そのほとりに住みかを作りました。

ある日、サヴィッタカがその湖のまわりで餌を探していると、湖にもぐり魚を食べ、ほとりで身体を乾かしているヴィーラカを見つけました。
それを見てサヴィッタカは、「あのカラスに頼れば、私たちはたくさんの魚を得ることが出来るにちがいない。
あのカラスに仕えよう」と考えて、彼に近づきました(サヴィッタカは、ヴィーラカのことを自分と同じカラスだと勘違いをしていたのです)。

ヴィーラカに、「なんの用ですか?」と問われて、
「あなたにお仕えしたいのですが」と答えると、快く承諾してくれたので、その時から彼に仕えることになりました。
サヴィッタカが身の回りの世話をするのとひきかえに、ヴィーラカは魚を捕りサヴィッタカに与えました。
彼は、自分に必要な分だけを食べると、残りを妻のカラスに与えました。

そんな日が続くうちに、サヴィッタカは徐々に高慢になり、
「このカラスも黒いが、私も黒い。眼だって、くちばしだって、足だって、あいつのと私のとに何も違いはないのだ。
これからは、あいつに魚をとってもらう必要はない。私が自分でとろう」と考え、ヴィーラカに、
「これからは、私が自分で湖にもぐって魚をとりますよ」と言いました。
「いや、あなたは水にもぐって魚を取るように生まれついてはいませんよ。身を滅してはいけません」とヴィーラカに止められましたが、
サヴィッタカはその言葉を聞き入れないで湖にもぐりました。

しかし息は少しも続きません。さらに浮かび上がろうとしても、水草をかき分けて出てくることが出来ず、
水草のあいだにからまってしまい、ヴィーラカの助けも間に合わず、彼はとうとう水の中で事切れてしまいました。

数刻後、妻のカラスは彼が帰ってこないので、事情を知りたいと、ヴィーラカのところへやってきて、
「サヴィッタカが見えませんが、いったいどこにいるのでしょう?」と尋ねて、第一の詩句を唱えました。

 ヴィーラカよ
 あなたは見かけたのですか
 美しい言葉を語る
 孔雀に似た頸を持つ
 私の主人サヴィッタカを

それを聞いて、ヴィーラカは、「ええ、私は、ご主人のなれの果てを知っていますよ」と言って、第二の詩句を唱えました。

 水中も陸上も自由に生きる
 いつも生魚を食べる水鳥の
 真似をしたサヴィッタカは
 水草にからまり死に果てぬ

それを聞いて、妻のカラスは嘆き悲しんで、バーラーナシーへ帰って行きました。

大切なのは中身であって、外側だけをまねていてはいつか身を滅ぼすという喩えのお話です。

平成二十七年九月 写経の会(第二十五回目) 法 話

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