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第18回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第18回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

観世音菩薩普門品第二十五 (普門偈)訳

佛の相を備えられたお釈迦さま、私(無尽意菩薩)は今一度お尋ねいたします。
あの菩薩はどうして、観世音と名づけられたのですか。
佛の相を具えた美しいお姿のお釈迦さまは、詩を唱えて無尽意菩薩にお答えになりました。

よくお聞きなさい。観世音菩薩の働きは、いつでもどこへでも行って人々の救いに答えることです。
その救済の誓願は海のように深く、どれだけ考えても伺い知れません。
数えきれないほどの佛たちに仕え修行し、すばらしい清浄な誓願を立てたのです。
今私はあなたの為に、詳しく説明しましょう。観世音菩薩の名を聞き、またその姿を見、
心にしっかりと刻んで忘れないならば、人々のあらゆる苦しみは無くなるでしょう。

たとえば悪意のある者がいて、自分を炎が燃えさかる大きな穴に突き落したとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、火の穴はたちまち池に変わるでしょう。

あるいは、大海原を漂流してしまい、竜や怪魚や鬼などの様々な怪物が襲って来ても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、海中に沈んだり海の藻屑となるとはないでしょう。

あるいは、須弥山のような高峰の頂きから誰かに突き落とされたとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、空の太陽のように空中に浮かぶことができるでしょう。

あるいは、悪人どもに追われて金剛山という高峰の頂きから転落してしまったとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、一本の髪の毛さえ傷つけられないでしょう。

あるいは、怨みを抱いた賊の集団に囲まれ、皆が刀を手にして危害を与えようとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、彼らはたちまちに優しい慈悲の心を起こすでしょう。

あるいは、王様の悪政の為に今まさに刑場で死刑に処せられようとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、振り上げられた刀は粉々に砕け散るでしょう。

あるいは、囚人となって縄や鎖につながれ、手足の自由を奪われても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらの拘束から逃れて自由の身になれるでしょう。

誰かが呪いや毒草、毒薬によって自分に危害を加えようとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、被害はそれを企てた本人に戻って行くでしょう。

あるいは、悪い羅刹や毒竜や悪鬼などに遭遇したとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、これらのものは、危害を加えようとしないでしょう。

もしくは、恐ろしい猛獣に取り囲まれて鋭い牙や爪で脅かされても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらはたちまちに何処かへ逃げ去ってゆくでしょう。

イモリやヘビ、マムシやサソリがその毒気を火焔のようにゆらし迫ってきても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらはおとなしくなって退散するでしょう。

天がとどろき稲妻が光り、雹が降り、大雨が降り注いでも、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらはその瞬間に跡形なく消え去るでしょう。
人々が困難や災厄にみまわれ、さまざまな苦しみにさいなまれる時、
観世音菩薩の勝れた智恵の力はそれを察知して人々を苦しみから救い出してくれます。
神通力を具え、広大な智恵とそれを発揮するさまざまな手段に長けた観世音菩薩は、
あらゆる国のいたる所に姿を現わし、どこであってもその姿を見ることができます。
様々な悪い境涯や、地獄界、餓鬼界、畜生界に陥った苦しみ、生まれ、老い、病になり、死ぬという苦しみすらも、
しだいに消滅させてくれます。

観世音菩薩は真実を見通す眼と、汚れなき清浄な眼と、広大な智慧を持つ眼と、
悲しみを憐れむ眼と、慈しみに満ちた眼を持っています。だからいつも、観世音菩薩を願い、その姿を仰ぎ見なければなりません。
観世音菩薩の放つ汚れなき清浄な光は、智慧の輝きで無知の闇を消し去り、よく災いの風や火を鎮め、
この世を明らかに照らし出します。
憐れみの心で説かれる戒めは、雷が鳴り響くように偉大であり、その慈しみの心は美しい大きな雲のように人々を覆い、
恵み深い智慧の雨を降らせては、人々の煩悩の炎を消し去るのです。
争いに巻き込まれて法廷に立たされたとしても、恐ろしい戦場で危険にさらされている時も、
観世音菩薩の救いを心に念ずれば、あらゆる敵はみな退散するでしょう。
観世音菩薩の優しく美しい音声は、梵天の音であり、潮騒のように心にしみ込む音であり、
そしてそれはこの世のあらゆる苦しみや悲しみの音声を制する音なのです。
だからこそ常に観世音菩薩を忘れずに念ずるべきなのです。

決して、決して疑ってはなりません。

観世音菩薩の清らかで聖なる心が苦しみや、悩みや、死や、災いに満ちたこの世の中で真実の拠り所なのです。
あらゆる功徳を具え、すべてのものを慈悲の眼で見守っています。その福徳は海のように無量であり、だからこそ礼拝すべきなのです。

この説法をうかがって感動した持地菩薩は座から立ち上がってお釈迦さまの前に進み出て、つつしんで申し上げました。
お釈迦さま、人々がこの観世音菩薩の自由自在な救済の働きと、相手に応じてさまざまに姿を変え、
あらゆる所に出現される神通力を聞き知った時、大いなる功徳を得ることでございましょうと。

こうしてお釈迦さまが観世音菩薩のお話を説き終えられますと、大衆の中の八万四千人もの人々は、
比べるものもなく、何よりも尊い悟りを得たいという願いを起こしました。

平成二十七年二月 写経の会(第十八回目) 法話

ふもんげ もっと訳

私たちの人生には、殺意のような激しい怒りの気持ちに突き動かされ、激情の炎に包まれて我が身を焼き焦がしてしまうこともあります
そんな時は、心の中にいる観音様を念じてください
激情の炎は風一つ無い湖のように静まることでしょう

時に悲しみの大海原にさ迷い、辛い荒波に飲み込まれてしまうようなこともあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
その荒海に心打ち砕かれて藻屑となってしまうことは無くなることでしょう

また、峻険な山岳を歩くように慎重にしなくてはいけない時、間違えて足を踏み外してしまうこともあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
あなたは人生の道から転落してしまうおそれも無くなることでしょう

また、私たちは憎悪のために精神が高ぶってしまい、激昂したまま我が身を滅ぼしそうになることもあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
きっと自分を傷つけることは無くなるでしょう

また、人生の巡り会わせには、悪意や暴力が私たちを縛り奪おうとすることもあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
きっと暴悪な心は静まって慈しみの心が起こってくることでしょう

また、あなたの生き方が世の中の仕組みと合わなくて、自分自身を押し殺すほかないこともあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
そのような世間の刃はあなたを傷つけることはなくなるでしょう

また、身も心も苦悩の鎖に縛られて身動きが取れないような時もあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
そんな心も自由になれることでしょう

誰かがあなたを思い通りに操ろうとする働きかけによって、自分が自分でなくなってしまうようなこともあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
きっとそのような働きを跳ね返すことが出来ることでしょう

また、人生の中で出会う誰かと、あるいは家族や友や伴侶と敵対関係になってしまうこともあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
きっと行き違った人々の関係も改善されることでしょう

時に、私たち人間の誰にでもある野性の心の暴走のために、理性を見失って自他を傷つけそうになることもあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
心の中の野性はどこか遠くに去り、そして穏やかになることでしょう

欲望やむさぼりが、心の奥底から蛇や虫のように涌きあがってくることもあります
そんな時も、心の中にいる観音様を念じてください
きっとそれらはどこかにいなくなってしまうでしょう

人生においては、嵐が襲ってくるように、自分の力だけではどうしようもならない激しい流転に巻き込まれることもあります
しかし、自分の中にいる観音様の心を見失わないものは、そのような嵐に遭遇したとしても人生を台無しにしてしまうことはないのです

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