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第16回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第16回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

如来寿量品第十六(自我偈)訳
 
私が世の中の人々の苦しみを除くことのできる仏の法を悟り、永遠の命を得、
仏という名で呼ばれるようになってからもう、永遠という言葉に等しいほどの時が流れました。
その間中、常に法を説き続け、数え切れないほどの人々に仏の智慧を説き、そして救いの道に導いてきました。
その時の長さは、誰もがとても計り知れないものなのです。
私は世の人々を救うために、ひとつの手段として、私自身が死ぬということにしました。
でも本当に死ぬというわけではありません。私はいつでもあなた達のそばにいて、いつも法を説きつづけているのです。
私はどんな時でも人々のそばにいるのですが、迷っている人々を導くために、
悟りの智慧によって得た神通力によって、もう自分たちの手の届かないところに行ってしまったと思わせるのです。
人々は私の死を見つめ、そして多くの仲間たちとともに私の遺骨を供養しました。
ある時、人々の心の中にふつふつと、一つの感情が沸いてきました。それは私に会いたいという感情です。
その気持ちはあまりにも強く、人々の中のよこしまな心や傲慢な心などは、どこかに消え失せてしまうほど強く、暖かいものでした。
人々は、心のそこから私をいとおしみ、自らの損得などは考えずに、私に会いたいという一心で、
私が以前説いた教えを実践するその時、はじめて私は弟子たちとともに、人々の前に姿を現すのです。
そして人々に語るのです。私はいつでもあなた達のそばにいましたよ。あなた達を導くために、わざと死を示したのですよと。
どこかの国で、私の教えを心から信じ実践する人がいるのなら、私はすぐさまその人の元に赴いて、
この上ない法を説くとあなた達に説きました。でもあなた達はその深い意味を知ろうとはせずに、ただ私が死んでしまったのだと嘆いてばかりいました。
私の目からこの世の中を見ると、人々はまるで苦しみの海の真っ只中で溺れもがいているように見えます。
そこからあなた達を救い出すために、あえて死というものを示さなければなりませんでした。
人々はそれにより、はじめて心から私に会いたいと思うようになるのです。
そのあなた達の心がいとおしくて、私は姿を現し苦しみを除く法を説くのです。
仏の神通力とはこういうもので、私は無限の時間の中においても常に霊鷲山にいながら、あなた達のそばにもいるのです。
例え世の中というものの寿命が尽きて、世界が炎に覆われることがあっても、私が住むところは平穏であり、
天人達もいつも楽しそうに暮らしています。広場や林、建物などは全て金銀で飾られ、きれいな花やおいしい木の実などがそこいら中にあふれ、
人々は心からの安らぎを楽しんでいます。天人は天の楽器をもって様々な音楽を奏で、天の花を私とそこに住む人々のために、まるで雨のようにやさしく降らします。
私の住む世界は堅固であり、なにものによっても決して壊されるものではありませんが、
罪を重ねてきた人々はこの世界さえも恐怖や憂いが充満していると錯覚しております。
それらの人々は、私の教えを信じないために私の世界を知ることもなく、無限の時をその苦しみの世界で過ごさなければなりません。
しかし、数々の善行をなし、心を素直にして私の教えを信じることができるものだけが、私の世界に赴いてこの上ない法を聞くことができるのです。
私はそこで仏の寿命は限りあるものではないと説き、そして人々に、仏になる道はまだまだ遠いものであると初めて明かすのです。
私の智慧の光がどこまでも照らし、寿命が永遠なのは、数え切れないくらいの長い時を修行して得た結果なのです。
あなた方は、今ここで何も疑ってはいけません。疑惑の念を断じて、仏になるための修行をこれからするのですよ。
仏の口から出た言葉は、常に真実の言葉なので、決して空しい結果には終わることはありません。
例えば良医が狂った我が子を助けるために、わざと偽りの死を示して助け出したように、この世の中の人々の父親である私は、
すべての人の苦しみを除くためにここに存在するのです。人々がもがいているのを助けるために、そばにいながらにして死を示すのです。
世の中の人々は、いつも私がそばにいると安心して怠け心を起こし、諸々の欲にまみれ、知らず知らずのうちに逃れられない苦しみの中に自分を置いてしまいます。
私は、人々が正しい道を知っていながらも迷いのため、思うようにそこに進めないことを知っています。
だからこそ、その都度何かの形をかりて、その時々にあった法を説くのです。
私の心からはこの願いが絶えることはありません。
例えどんな手段をもってしても人々をこの上ない道に導き、苦しみから離れた仏の永遠の命を得させようとすることを常に念じているのです。

平成二十六年十二月 写経の会(第十六回目) 法 話

お釈迦様は、いつでも私達を見守って下さっておられるのです。

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