お知らせ

第13回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第13回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

無財の七施(むざいのしちせ)― 施しの行

お布施とは施しをすることです。

仏教では施すことを、大切な仏道修行としております。
「施しは無上の善根なり」と云う言葉もあります。
一般的には法要の際にお寺さんにお渡しするお布施を考えがちですが、そのことだけをさす言葉ではありません。
財産が無くても出来る施しがあります。
無財の七施(無財の七施)といい、自分自身の善根をみがくためのものです。

 その七つの布施とは、

一、眼施(げんせ)「やさしいまなざしで人に接する」
「目は口ほどにものを言う」というように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。
相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。
自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解し、お互いが打ち解けることができることでしょう。

二、和顔悦色施(わげんえつじきせ)「にこやかな顔で接する」
顔はその人の気持ちを表します。爽やかな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。
そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、
暮らしの中ではいつも、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。

三、言辞施(ごんじせ)「やさしい言葉で接する」
私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に傷つけたり、悲しませたりする場合があります。
相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」など、
何事にも心からの言葉がお互いの理解を深める第一歩です。

四、身施(しんせ)「身体でできることで奉仕する」
重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお助けするというような身体でできる奉仕です。
どんなによいことと心で思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、
自ら進んで他のために尽くしましょう。相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。

五、心施(しんせ)「他のために心をくばる」
心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。
自分だけがよければいいというのではなく、他人の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。
慈悲の心、思いやりの心があれば、それが自然とやさしい顔や眼差しになって表れてくることでしょう。

六、床座施(しょうざせ)「席や場所を譲る」
「どうぞ」の一言で自分のいる席を譲ることです。また、この言葉には全てのものを分かち合い、
譲り合う心が大切であるという意味も含まれています。場合によっては自分の地位や名誉を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。

七、房舎施(ぼうしゃせ)「自分の家を提供する」
人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供し、来客に対してあたたかくおもてなしをすることです。
また、軒下など風雨をしのぐ所を提供することや、雨の時に相手に傘を差しかける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。

私たちの日常生活において、たとえお金がなくても、物がなくても、周りの人々に喜びを与え
、周りの人々に少しでも喜んでいただけるのが「無財の七施」の実践です。ボランティアや奉仕活動に似ていますね。
このような身近な行動によって、自己を高めることができるとともに、世の中の人々の心を和ませることが、菩薩の修行なのです。

私達は普段の生活の中で、仏教でいうところの修行をしているのです。
辛い事が多い日もあるかと思いますが、その徳が自分の他、回りにもふりまけられるよう真っ直ぐに立っていきましょう。

平成二十六年九月 写経の会(第十三回目) 法 話

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