お知らせ

第12回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第12回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

十二因縁(じゅうにいんねん)― 悟りへの道 -

十二因縁(じゅうにいんねん)とは、お釈迦様が人間の苦しみや悩みがいかに成立するのか、
その原因を十二の項目によってまとめたものです。一切の現象は私たちの心に原因があり、それぞれの幸・不幸が決まるとされています。
十二因縁の働きを簡単に示すと左記のようになります。

無明(むみょう)―行(ぎょう)―識(しき)―名色(みょうしき)―六処(ろくしょ)―触(そく)―受(じゅ)―愛(あい)―取(しゅ)―有(う)―生(しょう)―老死(ろうし)

十二因縁(十二の項目)を、心の働きを中心に説明します。

一、無明(むみょう) 【無知、根本煩悩】
智慧のないことを意味します。すべての物事のあり方や意義を知らず、あると解っていても、知ろうともしない状態をいいます。

二、行(ぎょう) 【潜在的形成力】
意志をもって行う行為ではなく、本能的に、無意識のうちに行動してきたことをさしております。

三、識(しき) 【認識・判断】
無意識の行動が積み重なることによって、意識ができあがってきます。しかし習慣による、きわめてぼんやりとしたものごとを知り分ける働きでしかありません。

四、名色(みょうしき) 【名称と形態】
識が発達した状態です。名は心や精神世界、色は肉体をさします。心身の作用が除々に形を整え、自分の存在を意識するようになる状態をいいます。

五、六処(ろくしょ) 【対象と接触する領域】
眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)という五感の感覚と、意(心=知覚)が相互に働き、分別や区別する意識がでてきます。

六、触(そく) 【対象との接触】
名色と六処が互いに融合し、関連して意識的に判断できる状態になること。

七、受(じゅ) 【受容して生じた苦・楽・非苦・非楽】
物事を識別にあたり自然に、好き・嫌い・憂い・悲しみ・苦しみ等、さまざまの感情が起こるようになります。心に起こる最初の感情のことをさします。
十二因縁(じゅうにいんねん)― 悟りへの道 ―(二枚目)

八、愛(あい) 【渇愛】
感情が起こるようになると、好きなものに心がとらわれ「愛着」が起きてきます。自分が楽しく感じる物を追っている状態のことを云います。

九、取(しゅ) 【執着】
愛着を感じると欲望が生まれます。欲望が強くなり、得たものは離したくない、嫌なものを遠ざけたい、そういう自分本位な心の働きを取といいます。

十、有(う) 【生存・憂・悲・苦・悩】
執着のせいで人は自分の立場で勝手な主張をするようになり、差別や区別を意識するようになります。これにより幸・不幸を感じるようになります。

十一、生(しょう) 【生まれること】
苦楽の意識は、業(行為)として魂にすり込まれ、根本原因をなくさない限り、いつまでもこのような苦楽の輪廻を繰り返すとされています。

十二、老死(ろうし) 【老いて死ぬこと】
人間はこの世に生を受ければ、いくら長生きをしても必ず老いて死を迎えなければならないものです。このことを老死と云います。

法華経『化城諭品第七』に「無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、
触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死・憂悲・苦悩に縁たり。」と説かれております。
「縁たり」というのは、○○の縁によって生じたもの、○○を条件として生じたものという意味です。
例えば、「無明は行に縁たり」といえば、「行」というものは「無明」という縁を介して生じたということです。
ものごとが生ずるには、かならず原因(因)と条件(縁)がなければならないということです。
また、同じく、「無明滅すれば則ち行も減す、行滅すれば則ち識も減す、識滅すれば則ち名色も減す、名色滅すれば則ち六入も滅す、
六入滅すれば則ち触も減す、触滅すれば則ち受も減す、受滅すれば則ち愛も減す、愛減すれば則ち取も減す、取滅すれば則ち有も滅す、
有減すれば則ち生も減す、生滅すれば則ち老死・憂悲・苦悩も減する。」と説き、苦悩の根本にある無明を滅することが、
一切の束縛から離れる根本であると説かれております。

平成二十六年八月 写経の会(第十二回目) 法 話

これは今自分がどの状態にあるのかを分析し、善い道を進んでいるのなら更に善い道へ、
悪い道に進んでいるのなら、少しでも善い道に進めるように軌道修正できるということですね。

cd743415c69faa4e32b1934ee0598663_s