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第11回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第11回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

四諦(したい)–四つの真理–

お釈迦様が真理を悟り、初めて説いたのがこの四諦の法です。
この教えはかつて一緒に苦行を重ねてきた五人の仲間に説かれました。
これを初転法輪(しょてんぼうりん)と呼びます。初転法輪の「輪」というのは各説ありますが、
どこまでも転がり続けることの出来る輪、魔を打ち砕く戦車の車輪のことなどといわれます。
もちろん本当に輪を転がしたり、戦車を運転したわけではなく平和の「輪」の法輪を回転させたという意味です。

【四 諦】
一、苦諦(くたい)・・・・苦に関すること
二、集諦(じったい)・・・苦の原因に関すること
三、滅諦(めったい)・・・苦の原因の消滅に関すること
四、道諦(どうたい)・・・苦から解放される為の実践に関すること

一、苦諦(くたい)
苦諦とは「生きるということは、苦である」ということです。
お釈迦さまの教えの根本は「無常なるが故に苦なり」と示されます。
「苦」は、サンスクリット語では「思うままにならないこと」であり、生きることも老いることも、病気も死も同様です。
その基本的な苦として「四苦八苦」を説かれました。

二、集諦(じったい)
集諦とは、苦の原因に関する真理を示すもので、苦の原因とは執着にあるという教えです。
その苦悩の根本原因は、渇欲・渇愛・無明であると説かれ、これらの煩悩をまとめて、
貪欲・瞋恚・愚癡(とんよく・しんい・ぐち)の三毒と説かれております。

イ、貪欲(とんよく)
これは「欲」の心のことです。この欲の心は五種類に分類できるので「五欲」と教えられております。
「食欲」「財欲」「色欲」「名誉欲」「睡眠欲」の五つの欲ことです。

ロ、瞋恚(しんに)
これは、欲の心が邪魔されたときに出てくる心。腹が立つ時の心です。自分の思った通りにならない時に腹が立つ。
自分の欲を邪魔した者に腹が立つ。たとえば大勢の人の前で恥をかかされたり、プライドを妨げられるのは、名誉欲が邪魔されたわけです。
眠たい時に起こされると腹が立つのは、睡眠欲が邪魔されたからです。私たちが生きていくということは、
欲を満たそうとするか、それを邪魔されるかのどちらかなので、「欲」と「怒り」は交互にやってくるといわれております。

ハ、愚痴(ぐち)
これはねたむ心、憎む心、うらむ心、人の不幸を見るとおもしろく思う心のことです。
幸せな人を見ると、口では「幸せですね、よかったね」と笑顔で言うが、心中穏やかでなかったり、
反対に不幸な人を見ると、口では「お気の毒に、大変ですね」と困った顔で言いながら、いい気味だと思ったり。
これを仏教では「心口各異」といい、心で思っていることと、口で言っていることがそれぞれ異なっている状態のことです。

三、滅諦(めったい)
滅諦とは、苦の原因を滅する為の教えです。「求むるところあるは皆苦なり」と示されるように、執着を無くすことを滅諦といいます。
貪欲・瞋恚・愚癡 の三毒、から離れ、その火を消滅せしめるのが諦観(たいかん)といいます。
この状態を「悟り」や「涅槃」ともいいます。「涅槃」とは、「煩悩の炎を消す、或いは火の消された清涼な状態.境地」という意味です。

四、道諦(どうたい)
道諦とは、苦しみの生起するもとを知り、苦を滅する修行、実践に関する教えです。
釈尊は、これら四つのことの理解と実行以外に苦しみを逃れる方法はないことを体得され、実践され、教えられたのです。
その実践道として「八正道」を示されました。

お釈迦様は「この世は苦である」といわれておりましたが、ご入滅する前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっておりました。
これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という、人間の愛に直接触れた、お釈迦様のひとつの悟りの言葉でありましょう。
現実に素晴らしいもの、美しいものはたくさんあります。
しかし、それらはあっという間に形を変え、過ぎ去り、そして消えて失われていくものです。
自分も、愛するものも同じく、やがて死んでいきます。
それはやはり苦です。
そうした苦の世界をどのように生きるか、苦しい人生をどう生きるかという実践の為の法が、四諦なのです。

平成二十六年八月 写経の会(第十一回目) 法 話
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