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第10回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第10回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

八正道(はっしょうどう) –苦を滅する道–

お釈迦様は人々の「苦」を滅する方法として八正道(はっしょうどう)を説かれました。そもそも「苦」とはなんでしょう。
それは日常的に使われている四苦八苦という言葉の事です。

一、生(しょう) 生きるということは苦である。
二、老(ろう)  老いていくことは苦である。
三、病(びょう) 病にかかることは苦である。
四、死(し)   死ぬということは苦である。
五、愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である。
六、怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である。
七、求不得苦(ぐふとくく)  求めても得られないのは苦である。
八、五蘊盛苦(ごうんじょうく)心身で物事に拘りをつくるのは苦である。
生・老・病・死を「四苦」といい次の「四苦」愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて「八苦」と呼びます

【八 正 道】

『正見(しょうけん)』
ありのままに全ての物事を見ることです。人は物事をありのままに見ておりません。
ほとんどの場合、今現在の全てがいつまでも存在していると思いながら生きております。
全てのものは常に生まれ、変化しそして滅する。無常の観点から物事を見るということです。

『正思惟(しょうしゆい)』
正しく考え判断することです。
一、出離(離欲)、心身共の世俗的欲望から離れることを考える。
二、無瞋恚、怒りによって物事を判断しないように考える。
三、無害心、他のものに対してどうすれば助けられるか、どうすれば慈しみを持って接することができるか考える。

『正語(しょうご)』
正しい言葉を使うということです。
誰かのためになる言葉、平和で調和のとれる人に優しい言葉のことです。
時として真実を言うことは相手を傷つける場合もあります。
話しをしたり文章で伝える場合も、その言葉が人間を幸福にするという認識でされなければ、正語とは言えません。

『正業(しょうぎょう)』
正しい行いということです。
殺生をしてはいけない、人のものを盗んではいけない等当たり前のことの他、人の迷惑にならない、
生命の妨げになることや嫌がることをしてはならないという、人間の行動にもとづくものです。

『正命(しょうみょう)』
正しい生活と仕事のことです。
私たちは生きるためには何かしら働らかねばなりませんが、自分の職業や仕事が他の命の為に貢献するものでなくてはいけないということです。
道徳や人道に背く仕事と言えない仕事はせず、規律正しく生きていきましょうという意味です。

『正精進(しょうしょうじん)』
正しい努力のことです。
一、すでにしてしまった悪いことを消す努力。
二、まだやっていない悪いことをこれからもしない努力。
三、今までの善いことを伸ばす努力。
四、今までしなかった善いことを積極的にしていこうとする努力のことです。

『正念(しょうねん)』
気づいた状態でいるという意味です。
何に気がつくのかというと、今の自分に気がつくということです。
一刻一刻と自分の思考や現況は変わっていきますが、精神を統一し今現在自分がどういう状態であるのか常に気づいている状態のことなのです

『正定(しょうじょう)』
正しい集中力を完成することという意味です。
仏の真理により正しく瞑想することです。正しく物事を見(正見)、正しく自分を観察(正念)することによって初めてできる実践の瞑想のことです。

現代の日本は日々忙しく、私達は二十四時間三百六十五日、最後の時がくるまで何かしらの行動をしております。
身の回りの環境も日一日と変わっていき、着いていくのがやっとという時もあります。
その中でこの八正道を心の基本として生きていくのは苦しみから逃れ、苦しみにとらわれない最良の方法と言えましょう。
是非実践してみてください。

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客観的に自分を見るということはかなり難しいのかもしれません。
どうしても自分の主観で物事をみてしまうからです。
客観的に自分を見てる自分を見ることができればまた違う自分が見えてくるかもしれませんね。

平成二十六年六月 写経の会(第十回目) 法 話