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第6回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第6回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

法華七喩(ほっけしちゆ)の二
長 者 窮 子(ちょうじゃぐうじ) 【信 解 品】
自らも仏になれるのだと喜んだ弟子達はお釈迦様にこうお話されました。
その昔、家出をしてしまった子がおりました。
父は方々に手を尽くし捜し求めましたがやがて疲れ果て、ある町に居を構えました。
そこで待ち続ける長い年月の間に事業に成功し、大財産を築き上げ長者となりました。
諸国を放浪して乞食同然となった長者の子(窮子)は偶然父の屋敷の前を通りかかりました。
中を覗くと大勢の人と見るからに立派な人がいました。
窮子は「場違いなこんな処にいたら捕まって何をされるか判ったものじゃない」と、早々に退散しましたが、
その様子を見ていた長者はすぐにそれが我が子と気づき、従者に連れてこいと命じました。
急に声をかけられた窮子は殺されるかも知れないと思い込み、驚いて気を失ってしまいました。
長年の放浪生活ですっかり心まで卑屈になってしまった我が子に長者は手だてを考えました。
見るからにみすぼらしい格好をした人を使わしたのです。その人は窮子に言いました。
「糞を除く仕事がある、一緒にどうだ」と。窮子は喜んでその仕事をしました。
窮子の仕事ぶりをいつも遠くから見ていた長者はある日身分を隠し、窮子と同じような格好をして近づきました。
そしてうち解けて話せるようになってから、今度は長者の財産管理の仕事を紹介しました。
最初に雇ってから二十年ほど経った頃でした。
窮子はいくら管理を任されても財産は長者のものであって自分には関係ないと、黙々と仕事に専念しました。
長者は息子の心がだんだん広く清浄になってきたことを悟り、本当のことを話す時を待ちました。
やがて長者も高齢になり、病に倒れ臨終近いことを聞かされると、全ての関係者を集めてその前で親子の名乗りを上げ、
自分の財産をこの子に譲ると宣言されたのでした。
この中の長者はお釈迦さま、窮子は仏弟子を指しますが、広く考えれば私たち衆生のことです。
長者の使いはいつでも私たちの隣にいるのです。
平成二十六年二月 写経の会(第六回目) 法 話

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内容
私たちはいつも愚かな者です。
自分が本当に目指さなければいけないもの、為さなければいけないものに目を瞑っているうちに
いつかそれら全てを忘れてしまう者です。
せめて近くにいる者の言葉に耳を傾けたいものですね。