お知らせ

第4回 写経の会の法話

こんにちは、こちらは慈悲の心と人の縁を、千葉市から伝え広めるお寺 日蓮宗 本円寺のブログです。
今回は第4回 写経の会にてお配りした教箋と、お話しした内容についてお書きします。

法華七喩(ほっけしちゆ)の五
衣 裏 繋 珠(えりけいじゅ) 【五 百 弟 子 受 記 品】
お釈迦さまより授記(じゅき=成仏・仏となる保証)を与えられ、五百人の仏弟子たちは大変喜びました。
お釈迦様がその都度状況に合わせて説かれた方便の教えを最高の悟りだと思って満足し、それ以上向上して自分自身が仏になれるなどと思ってもいなかった自分たちがどれほど無知であったか気づいたからです。
弟子たちは反省し、自らの理解と納得を「衣裏繋珠(えりけいじゅ)のたとえ」をもってお釈迦さまに申し上げました。
「ある国にとても貧しい男がおりました。彼は久しぶりに会った幼馴染の親友の家に行ってお酒をごちそうになり、酔いつぶれて寝てしまいました。翌朝早く、親友は仕事で外に出ることになったのですが、友達を起こしてはかわいそうと思い、彼の衣服の襟の裏に高価な宝の珠(たま)を縫い付けて出かけました。宝の珠を売って豊な暮らしをしてもらいたかったからです。
しかし彼は、眠りから覚めても宝の珠に気づかず、そのまま他の国へ出かけてしまいます。そしてわずかな収入のために苦労を重ね、その日暮らしの生活に満足するようになりました。
ある日のこと、彼は久しぶりに親友に会いました。
親友は、衣の裏に縫いつけた宝の珠がいまだにあることを教えると『これを必要なものと交換すれば、意のままに生活することができたのに』と告げました」
五百人の弟子たちは、この話に出てくる親友とはお釈迦さまのことで、貧しく愚かな人とは自分たちであったと述べました。
また宝珠とは「仏性(ぶっしょう)」を意味します。もともと皆に具わっているにもかかわらず、その事実を忘れている私たちを、真実の教え『法華経』によって仏性に気づかせることが、お釈迦さまの誓願(せいがん)なのです。
仏の悟りとは遠いものではなく、私たちのすぐそばにあるのです。
平成二十五年十二月 写経の会(第四回目) 法 話

c2f8e8b08c60e612c9c175dd0b6d7f8f_s

内容

大切なものはいつもそばにあるものです。
気がつかなかったり、気がつかないふりをしたり、よくあることです。
自分自身を見つめること、難しいことですがとても大切なことなのですね。