資 産 家 の 息 子 の お 話 し
― 死を受け入れる ―
その昔、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は八億の財を所有する資産家の家に生まれました。
彼が成人した頃に両親が亡くなったので、兄が家の財産を管理するようになり、彼はその兄に頼って生活をしていました。
ところがその後、兄まで両親と同じような病気にかかり、亡くなってしまいました。
訃報を聞いた親族・友人・同僚・知己の人々は集まって来て、両腕を拡げて泣き叫び、取り乱さずに冷静でいられる者は一人としていませんでした。
しかし菩薩である弟だけは、泣きも叫びもせずに落ち着いていました。
それを見た人々は、
「あれをごらんなさい。あの人は実の兄が死んだというのに顔の表情ひとつ変わらないじゃないか。
とても神経が図太くて、親の遺産を独り占めに出来るから、兄が死んだのをかえって喜んでいるのではないかと思えるほどだ」
と彼の悪口を言いました。
親戚たちも、
「おまえは兄さんが死んだのに涙も流さないのか?」
と非難しました。
彼は人々の言葉を聞いて、
「あなた達は自分が愚かであるために、世の中には付きものである八つの事柄(利益・損失・名誉・誹謗・賞賛・非難・楽しみ・苦しみ)もよく理解できず、
『愛する人が亡くなった』と泣きます。
いずれは、あなたたちも私も死ぬでしょう。
人が死ぬことがそんなにも悲しい、悪いことであるならば、あなた方もこれからその悲しい悪いことに必ず出会うでしょう。
死んでしまった人のことを無駄に心配するより、自分の身に必ず降りかかってくる死に対して、
泣いたりわめいたり悲しがったりした方がよいのではないでしょうか。
他人の死を悲しむより『我々も死ぬのだ』と言って自分のことで泣くべきではないのですか。
すべての形あるものは、はかなくてとどまることがありません。
この法則によれば永遠に続くものなど、ただのひとつもありません。
あなたたちは無知であるために泣きますが、なぜ私まで泣かなければならないのでしょうか」
と言って次の詩句を唱えました。
あなたたちは、すでに死んでしまった者のことばかりを悲しみ
これから死んでいく者のことは悲しまない
身体をもつすべてのものは、次々に命を失っていく
神も、人も、四つ足で歩く獣も、鳥の群もとぐろを巻く蛇も
その身体には力がなく
楽しみを追い求めながらも死んでいく
このように変化し定まらない人間の苦や楽に嘆き悲しんでも無益であるのに何故あなたたちは心をかき乱されるのか
博打打ち・大酒のみ・悪人・愚者・
世渡りの上手い人・戦争に勝つ勇者・心を育てていない人は皆
「世間の法則」を知らないが故に愚者である
このようにして、菩薩である資産家の息子は、人々のために教えを説いて、彼らから悲しみを取り除いてやりました。
このお話しは、家族を亡くし、いつまでもその悲しみから抜けきらない人のためにお釈迦様が説かれたものです。
私達の身体には限りがあり、いつかその役目を終えてしまいます。
亡き人の死を真正面から見つめ、受け止める事により、はじめて自分もいつかは死に向かうのだと実感できるものです。
それは、その人の最後の教えを受け取ることでもありましょう。
大切な人の死を無駄にしないように生きていきたいものです。
平成三十年六月 写経の会(第五十八回目) 法 話