空 を 飛 ん だ 象 の お 話 し
― 利益と損 ―
昔、王舎城においてマカダ王が国を治めていた頃、菩薩は一頭の白い象となってこの世に出られました。
真っ白な全身に翡翠のように透き通った緑の目を持ち、福徳円満の相を表すものとして国中の評判になっていました。
それを伝え聞いた王様はこの象を自分専用の乗り物にするために召抱え、調教師をつけて一年の間みっちり仕込んだのでした。
象と調教師はまるで兄弟のようでありました。
もうそろそろという頃、王様の使いが明日から白象を使用すると、調教師に伝えました。
調教師は、
「いよいよ王様からお召しの声がかかったぞ。あしたからおまえの背中は王の玉座となる。
一緒にいる時間は減ってしまうがおまえは王の行かれるところ何処へでも趣かなければならぬ。
賢く素直に勤めてくれよ。」
白象は調教師に鼻を摺り寄せて一時の別れを惜しんだ。
次の日、朝早くから城を周る王様の巡察が始まりました。
その五百人にも及ぶ行列の真ん中を白象は王様を乗せて歩きました。
沿道で待ち受ける人々の中から歓声とため息がもれ、雪のような白さ、優雅な歩き振りという囁きはやがて熱気をはらみ、人々は声をそろえて
「なんと素晴らしい白象だ」と歓声を挙げるのでした。
王様は得意でありました。
「これほどの象はめったにいるものではない、これを手に入れたのも我が栄光の証しである」といって得意な顔を顔を隠しませんでした。
巡察は城の西の部分に入りました。王様の行列を待つ民衆はここでも口々に白象を讃え、その美しさに感嘆の声を上げた。
しかしその頃から王様は少しずつ不機嫌になっていきました。
民衆の歓迎は高まっているというのに、その事がどうにも面白くなかったのです。
以前は沿道を埋めた民衆は両手をあげて
「王様!王様万歳!」と歓呼したものだったのです。
いまはどうだ、王たる私よりも我が乗り物である白象に向かって転輪聖王の船といい、雪山の王者と呼ぶではないか。
「あの象が王たる我をないがしろにしておる。」
王様の心中に嫉妬の心が燃え上がったのです。
「そうだ、ヴェーブッダ山の頂から突き落として殺してしまおう。」嫉妬の炎は王様にそう決意させてしまいました。
王様は調教師を呼び出しました。
「白象は十分に調教してあるだろうな。
ならば、あのヴェーブッタの山に登れるか。
登れぬとは言わさんぞ、今から我が目の前で登って見せよ。」
王様は甲高く叫びました。
調教師はすぐに王様の真意を理解しました。
「白象よ、どういうわけだか王様はおまえを殺そうとしている。
一時はあんなに喜び、この国の宝であるとまで言っておまえを慈しんでいた王様だが、気でも狂ったのか、とにかく気をつけて行こう。」
そう話しながら調教師は白象にまたがりヴェーブッタ山を目指しました。
王様は高楼に昇ってその姿を追いました。
ヴェーブッタ山麓からその頂上まで道はありません。
何故なら誰も登ったことがないからです。
白象は用心深く進みました。
褐色の岩肌を白象が登るのが遠い城中からも見えました。
町中の家の屋根に町中の人が上がってその白象を遠くから見守りました。
道なき道を進むため、だんだん遅くなってはいましたが白象は確実に歩みを進め、そしてとうとう頂上に到着しました。
「白象よ、王様に何があったかは知らないが、とにかくおまえを殺そうとしていることは間違いない。
そんな王様なんてこっちからおさらばしよう。
さあ、これが頂上だ。空を飛ぼう、私もおまえと一緒にいく」
調教師が象に向かってそう語りかけたとき、白象は神通力をあらわしてヴェーブッタの頂から虚空を駆けました。
「なんと、象が空をゆく!」高楼で王様が叫びました。
家々の屋根で民衆が騒ぎました。
「哀王の嫉妬の心が私に虚空を歩ませる」
白象は一言そういい残し、住みなれた国を後にしました。
他の人が利益を上げていたり、幸せそうにしていると、それは本来自分が得るものだった、また何故教えてくれなかったのかと思う人がいます。
「他人の利益」を「自分の損」と、置き換えて考えてしまうのでしょうね。
そういう人は「自分の利益」を求めるために、「他人の損」を願うようになります。
自我が強すぎるために他者を貶めても自分にはなんの利益が無い事を理解していないのです。
嫉妬というものは他者の快楽への怒りです。
怒りは仏教でいうところの身を滅ぼす三つの要素、三毒の一番目に数えられるものです。
昔から他人の芝生は青く見えるという言葉があります。
嫉妬の炎で心を焼かれないようにしたいものですね。
平成三十年五月 写経の会(第五十七回目) 法 話