仙 人 と 蛇 と オ ウ ム と 王 子 の お 話 し
― 大切なもの ―
昔バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころ、菩薩はこの世に生を受け、仙人となりました。
仙人は世俗の暮らしを捨てて森に入り、ちょうどガンジス川が大きく蛇行する岸辺に小さな小屋を建てて住んでいました。
その頃バーラーナシーの都ではドッタクマーラという王子が、それはもう悪逆の限りを尽くして人々にきらわれ恐れられていました。
特に宮中でこの王子に使える者たちにとってはいつ怒りに触れて殺されるか生きた心地もしない毎日でありました。
そんなある日
「水浴びに参る。ガンジスの水が恋しくなった。供をせい」
と王子は家来たちに命令しました。
王子ドッタクマーラの一行がガンジス川に着いたとき、空は向こう岸から曇り始めて水面は波立ってきました。
「この川を泳ぎきるぞ、ついてまいれ」
そう言うと王子は川に飛び込みました。
しかし家来たちはお互いに顔を見合わせるだけで誰一人あとに続きませんでした。
空はいっそう暗くなり風が強まり、とうとう雨が降ってきました。
家来の一人が言いました。
「みんな、このままお城に帰って王子様は先にお帰りになったと口裏を合わせようではないか。
王子はまだ川の中ほどで泳いでいる。この雨ではずっと下流に流されて、きっとそのまま死んでしまうに違いない。」
「そうとも、王子なんて魚の餌食になればいい」
家来たちはこの意見に賛成すると、一目散に城へ駆け戻りました。
そのころ王子は家来たちの思っったとおり濁流に押し流されながら助けを求めてわめき叫んでいました。
まわりは風と雨と吼えるような川の流れでありました。
その中で王子の手にふと触れたものがありました。
それは川の中州に根を張る大木の枝でありました。
王子はその枝にしがみついて真っ暗な一夜を振るえながら明かしました。
夜があけ、雨もすっかりやんだころ、仙人は住んでいる小屋を出ていつものようにガンジスの岸に立ちました。
目も前に見える川の真ん中にある中州はすっかり水の中にかくれ、仰ぐように見た大木も横倒しになって流れに逆らっていました。
耳を澄ますとその大木の枝と枝の中からすすり泣きが聞こえました。
「いかなるものであろうと、死を恐れるものを救わねばならない」
仙人はすぐにすべてを理解し、神通力で中州に飛びたちました。
三方にのびた大木の枝、その一つに王子ドッタクマーラが泣いていました。
もう一つの枝に年老いた蛇がいました。
最後の枝にはオウムの雛が震えていました。
「怖れるではない、怖れるではない」
仙人はそう呼びかけながら片手でその大木を引き抜き、宙を飛んで岸に立ちました。
そして小屋から温かい食べ物を運んで彼らに与えました。
すると蛇が言いました。
「私はバーラーナシーで一・二といわれた金持ちでございました。
生前いのちより大事な金をこの中州に埋め、それが気がかりでこうして蛇に生まれ変わり、金を守っていたのでございます。
夕べ死ぬほどの恐ろしさを味わって、初めて金よりも大事なものがあることに気がつきました。
この金すべて差し上げとうございます。」
続けてオウムが言いました。
「私はお金はありません、けれども私の一族すべて集まってヒマラヤの麓から一番良く実った籾を十台の車に積むほど運んでまいりましょう。」
仙人はそれぞれに頷きながら、静かにほほえみました。
続けて王子は言いました。
「私が王位についたときには必ずわが王城をお尋ねください。お望みのものはなんでも、宴をはってお迎えいたしましょう。」
ガンジスの川の水が引いて、それぞれ丁寧にお礼をしながら帰っていきました
それから三年たちました。仙人はふと思い出してみんなのところへ行くことにしました。
まずひと飛びに中州に至り「蛇よ、元気でいるか?」と声をかけました。
蛇はすぐに現れ「お待ちしておりました。ここに金がございます。どうぞお持ちください」
「いや、それはそのまま。必要なときに思い出そう」そういい残して次はオウムの住処に行きました。
「オウムよ、元気でいるか?」
「お待ちしておりました。私の一族のものがすでに車十台分の籾を集めていつでも運べる手はずでございます。」
「いやいや、それは必要なときに思い出すことにしよう」
仙人はそう言いバーラーナシーの都へ向かいました。
都はドッタクマーラが王位についていました。仙人は城門に立って「王よ、元気でいるか?」と呼びかけました。
すると城内から
「城門に立つ乞食を捕らえて殺せ!わしを妬んでのゆすりたかりに違いない。死刑に処してさらし者にせよ」
ドッタクマーラ王の声が響きました。
仙人はそのまま立ち尽くし、
「獣に劣る人あり、獣に劣る人あり」と何度も何度も唱えました。
人の恩は尊いものです。
私たちは自分が平静なときはそれをわかりません。
大切な人ほど、大切なものほど、遠くなってから気づくものです。
いつまでも大切なものを忘れないようにしたいものですね。
平成三十年一月 写経の会(第五十三回目) 法 話