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修行者と羊のお話し

修 行 者 と 羊 の お 話 し

― 与え合う心 ―

その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、
あらゆる奥義を究めた一人の修行者がおりました。

修行者はある日、
「死者への供え物を捧げるため羊を一匹捕まえ、川で沐浴させ、首に花環をかけ、
神への供え物の印をつけ、飾りたててから連れてきなさい」
と弟子達に命じました。
彼らが言われたとおりにすると、その羊は、
「自分は今日こそ、このような苦しみから逃れることが出来るのだ」
と大声で笑いました。そして、
「この修行者は、私を殺すことによって、過去に私が受けてきた苦しみをこれから得ることになるのか」
と修行者に対する憐れみが生じ、大声で泣きました。

それを見ていた修行者の弟子達は、
「羊よ。なぜ大声で、笑ったり泣いたりするのか?」
とたずねました。すると羊は、
「その問いは、あなた達の師匠の前でなさって下さい」
と言い、その場では何も言いませんでした。

彼らは羊を師匠の前に連れて行き、いきさつを報告しました。修行者は試すように羊に聞きました。
「羊よ、お前は、なぜ笑ったり泣いたりしたのか?」
羊は修行者に語りました。
「修行者よ、私は前世で、あなたと同じく聖典を全て読誦するほどの修行者でした。
しかし死者への供え物を捧げようとして一頭の羊を殺したために、四百九十九の生涯において首を切られました。
そして今度が私にとって最後にあたる五百番目の生涯なのです。
この苦しみから逃れられると思うと、喜びが生じ笑ったのです。
また、私を殺せば、あなたは以前の私のように今後五百の生涯において首を切られる苦しみを得ることになるだろうと思うと、
あなたへの憐れみが生じ泣いたのです」と。

修行者は言いました。
「羊よ、恐れることはない、私はお前を殺したりはしない」
「修行者よ、何をおっしゃるのですか?あなたが殺す殺さないにかかわらず、
私は今日この日、死から逃れられないようになっているのです」
「羊よ、恐れることはない、私はお前を保護してすることにしよう」
「修行者よ、あなたの保護はとても有り難く頼もしいものではありますが、
私の犯した悪事はそれよりももっと強大なのです」

こうした会話を交わした後、修行者は羊を解放し、
「この羊を誰も殺してはならないぞ」
と言って、弟子達とともに羊についてまわり、保護していました。

数時間がたって、羊はある岩の頂き近くの茂みに首をもたげてやわらかそうな草を食べていましたが、
丁度そのとき雷が落ちて、岩の一角が崩れて羊の伸ばした首に落ち、頭を断ち切ってしまいました。
雷と岩の崩れる音に驚いた大勢の人々がどんどん集まって来ました。

すると突然その近くの大きな樹の神として生まれていた菩薩は、人々の見ている前で空中に足を組んで坐り
「これらの生ける者たちは、このような悪事のもたらす結果を知るならば、おそらく生き物を殺すことはしなくなるであろう。
生き物をむやみに殺すものは、必ず悲しむことになるのだ。」
と説法をして、畏怖心を起こさせました。

今はあまりないとは思いますが、昔の宗教の世界では、豊作、繁栄、自然災害からの回避などを希望して、
動物を生けにえにする習慣がありました。
動物ばかりではなく、人間さえ供え物にした歴史もあります。
これは、自分たちの幸せの為なら、知らない誰かを不幸にしても構わないという無知で愚かな行為です。
安らぎを希望する一方で脅威を与える。
平和を希望して、戦いを挑む。
そんな生き方は、仏教から見れば、苦を生み出すだけのものです。
お釈迦さまは、苦しみを与えるものは苦しみを受ける、恐怖を与える者は恐怖を受ける、幸せ与えるものは、幸せ受けると説かれました。
互いに慈しみあう、優しい世界ができるといいですね。
かの宮沢賢治も、世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないと言っておられましたね。

平成二十九年八月 写経の会(第四十八回目) 法 話

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