あ が り 症 の 父 の お 話 し
― 人は千差万別 ―
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、
菩薩はカーシ国のあるバラモンの家に生まれました。
名をソーマダッタといい、成長してから向学のためにいろんな国で学問や武術を学びました。
いく年もかけて学問を学び終えたソーマダッタが家に帰ってみると、
父母の家がとても貧しくなっているのに驚きました。
そこで
「私は衰退したこの家を再興しようと思います」と両親に願い出て、バーラーナシーに行き、
王宮で働くことにしました。
学問や武芸に通じていた彼を王に大変気に入り、ほどなくして王と直接話すことを許される存在にまでになりました。
一方、ソーマダッタの父は二頭の牛を使って畑を耕し、農作物を育て生計をたてていましたが、
残念なことに、そのうちの年老いた方の一頭が死んでしまいました。
父は息子ソーマダッタのところへ行って、
「息子よ、牛が一頭死んでしまって、畑が耕せなくなってしまった。
王様に牛を一頭恵んでくださるようにお願いしておくれ」とお願いしました。
「お父さん、私はつい最近王様にお仕えしたばかりです。
なのに今牛をお願いしに行くのは難しいと思います。ご自分でお願いしてください。」
「息子よ、おまえは私が大変なあがり症であることを知っているだろう。
私は二・三人の前でさえも話をすることができない。もし私が王様のところへ牛をお願いにでかけたら、
何を言っているのかわけがわからなくなってしまい、残ったこの牛さえ差しあげてきてしまうだろう。」
「お父さん、それならそれで仕方がない事です。とにかく私が王様にお願いすることはできません。
自分でお願いできるように練習しましょう。」と、
ソーマダッタは父をつれて、背の高い草の生えている場所に行き、あちこちの草をまとめて縛って束にし、
「これは王様。これは皇太子。これは将軍・・・」と名前をつけて、順々に父に教え、
「お父さん、あなたは王様のところへ行く時にはこの順番で挨拶をし、
『王様万歳』と言ってから、つぎの言葉を言ってください。
「大王よ、私には二頭の牛があり、それで畑を耕しておりました。
その一頭が昨年死にました。願いが叶いますなら第二の牛をお与えください」と。
あがり症の父は一年かかって言葉を暗記して、ついに覚悟を決めて息子に言いました。
「ソーマダッタよ、私はお前の教えてくれた言葉をよく憶えた。今ではそれを誰の前でも唱えられる。私を王様の所へつれて行っておくれ。」と。
それを聞いたソーマダッタは王様の喜びそうな贈物を持たせて、父を王のところへつれて行きました。
王のもとへ連れて行かれた父は、教えられたとおり順に挨拶をし、
「王様万歳」と言って贈物を差しあげました。
王は、
「ソーマダッタよ、この男はおまえの何なのか?」と尋ねました。
「私の父でございます。大王様。」
「なんのために参ったのだ?」
この瞬間、いまだとばかりにあがり症の父は願うための言葉を唱えました。
「大王よ、私には二頭の牛があり、それで畑を耕しておりました。
その一頭が昨年死にました。願いが叶いますなら第二の牛をお受取りください」と
王は父が言葉を間違えて言った事に気がつき、微笑んで、
「ソーマダッタよ、おまえの家にはたくさんの牛がいるようだね」と言いました。
ソーマダッタは、
「きっと、あなたさまから頂戴したものでございましょう」と言いました。
王はそのソーマダッタの言を気に入り、父親に十六頭の牛と、その装身具を引出物として与え、
非常な栄誉をもって送り出しました。
人が出来る事、出来ない事、得意な事、苦手な事、好きな事、嫌いな事、まさしく千差万別です。
自分が出来るからと言って、他人が出来ない事を無理強いするのはよくありません。
しかし、出来ないからと言って何もしないのはそれもまたよくないものです。出来ないなりに一生懸命することによって、人々の感銘を受けることができるのです。
また、出来る人は出来ない人に対して適切な助言を行う事も大切な事なのです。
平成二十九年七月 写経の会(第四十七回目) 法 話