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水牛と猿のお話し 第45回写経の会の法話

水 牛 と 猿 の お 話 し

― 自分を貶めない生き方 ―

その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、
菩薩は、ヒマラヤ地方の水牛の子として生まれました。

水牛の子は両親に大切に育てられ、いつしか成年に達しました。
力をそなえた水牛は安心して住むことが出来る新しい場所を探すため、
山の麓や密林のなかを探し回って、ようやく快適な大きな木陰を見つけました。
水牛はそこでのんびり餌を食べて、休んでおりました。

そこへ、その大木に住んでいた一匹の猿が木から降りて来ました。
そして水牛の背に乱暴にとび乗り、また角をつかんでぶらさがりったり、
しっぽをつかんで揺すり動かして遊びはじめました。
しかし水牛は忍耐や慈愛の情を心にそなえ、またその心を強くしようと常日頃から思っていたので、
猿の狼藉ぶりを意に介しませんでした。
猿は毎日毎日同じように振る舞いました。

ある日のこと、この大木に住んでいた神が水牛の前に姿を顕しました。
「なぜあなたはこの悪い猿の侮辱に耐えているのですか。
あの猿は私が住む木にも枝を折ったり葉っぱをむしったりと悪さをする。
私は神の身だから何も出来ないが、あなたはその立派な角で突き刺す事も出来るし、
大木のように太い足で踏みつける事も出来る。
悪いものを懲らしめる者がいなければ、更にその行為は助長するであろう。
なのに何故あなたは耐え忍んでいるのか。」と言いました。
それを聞いて水牛は、
「木の神よ、あの猿はこの木に長く住みついていたのでしょう。
猿には猿の事情があると思っています。
私はいずれこの地を去りますが、きっと猿は他の水牛も私と同じと思いこんで
同じように狼藉を働くでしょう。
そこでこの猿が常に怒りっぽい他の水牛たちにこんなことを仕掛ければ、
猿はどのみち殺される羽目になるでしょう。
その時私は、猿の屈辱からも殺生罪からも免れるでありましょう」と言いました。

その言葉のとおり、数日後に水牛は別の森を探して去ってしまいました。
それと入れ替わりに別の怒りっぽい水牛がその場所にやって来て大木の下で休んでおりました。
猿は(去ったと思った水牛がまた来た・・・。)と勘違いして彼の背に乗り、
そこでまた同じように狼藉を働きました。
怒りっぽい水牛は猿を振り落して地上に叩きつけ、角で突きさして、足で踏みつけて殺してしまいました。

曲がったことが嫌いだという人は多いものですが、その人が善人だとはかぎりません。
自分の事を棚に上げて、他人の悪いところばかりを指摘する人がいます。
「これくらいは大丈夫、みんなやっている」と、
その善悪の線引きの内側に自分を置いているからです。
道徳的に優れている人、人格者と言われる人も、人から悪口を言われたり、
貶められそうになったりもします。
しかしそれらの人は報復しようとしたりして自分の人格を汚す事はありません。
その事を謙虚に理解し、哀れみの心をもってその人にも接するものです。
自分で自分を陥れないようにしたいものですね。

平成二十九年五月 写経の会(第四十五回目) 法 話

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